物を盗まれたり、
騙されたり、
暴力をふるわれたのは、、、自分が悪いからでしょうか?
ついこの間まで、
当然、自分「も」悪かったと、
思い込んでた私がいる。
今は、、「ありえねー」。
と思っているが、
なぜ、自分「も」当然悪かったのだという
罪悪感や自分責めが
私の中にずっとあったのだろうか・・・
それは、やっぱり母の躾によるところが大きいって思う。
もちろん、
母は私を愛するが故の、躾、であった。
トラブルがあったとき、
どんなに私が理不尽の立場でも両成敗だ。
幼稚園年長の時、
耳鼻科に行くための治療費135円を
小学生に騙されて盗まれた時だってそうだ。
小3の時、仲良しに絶交状をもらった時も
「あんたが悪い」と言われた。
元夫に暴力をふるわれていたこんな場面でも、母は言った
「相手が100%悪いということはないんだ」と。
今だからわかる。
母の究極の愛の形だということが。
私が世間にでて「困らないように」
皆に「愛される」ように、だ。
しかし、
これも無意識の領域に深く刻まれて上書を繰り返し、
何かトラブルが起きるのは「自分にも当然原因がある」と思い込んだ。
原因があって結果がある。
悪い結果があったらその原因は「すべて自分なのだ」と 思い込んでしまった。
結果、
非常な罪悪感の刷り込みをし続けた。
だから自分を守るために
「自分が原因にならないように」した。
気が合わない人間とは付き合わないようにした。
気が合わない人間とは付き合わないと決めたから、
イライラする人間にはすぐ「ファイトポーズ」をとった。
近づくなというサインだ。
そのくせ、
油断した時に気の合わない人間から怒鳴られると
心臓がどきどきして、ひどく落ち込んだ。
そこで実験だ!
友好だった取引先が計画倒産をして、
私に多大な迷惑がふってきた。
ダメ元でもいい、怖かったけどその社長の家に突撃し、
こちらの正当な要望を伝えた。
結果、望んだとおりにうまくいった。
仲良くしていた友人が私に嫉妬して悪い噂を立てた。
今までの癖の通り、
そのグループから何も言わずに立ち去った私だったが、
勇気を振り絞って戻った。
そして、自分の思っていることを話し出した。
少しずつ「言いたかったこと」を言えるようになっていった。
自分の機嫌は自分でとる、と決めたことで、
人への依存が軽くなった。
何でも自分で決められるんだ!
というこの自信が気持ちいい。
恐怖(人から嫌われるとか)もかなり薄らいだ。
自分の立ち位置くらい自分で作れるんだ。
自分の空間くらい自分で作れるんだ。
何でも自分のせい、自分が悪かった、自分が原因だ、
という思い込みをいったん外してみよう。
自分責めをやめよう。
罪悪感を横におこう。
そして、
どうすることを自分は望むのか、
奥の院のネタコに訊ねてみよう!
そして、怖いけれど、
怖いけれど、アクションしてみよう。
きっと・・・あなただって、上手くいく!
これが、ネタコをおこした人体実験の結果なのだから。
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