お金経済が我々を幸せにするすべてではない、
と頭でわかっているのに、
私たちはどうしても振り回されてしまうのかな。
今回はその理由を深堀していて
気が付いた考察の巻。
その昔、私が中学生くらいの時に
ハーレクインロマンスがとっても流行りました。
そのほとんどが、
裕福で孤独な主人公が愛する人と出会い
本当の幸せを見つけていくストーリーでしたね(ほとんどが笑)
この類の小説の意味なんですけれども、
それは、
ただただ、裕福なプリンスと結婚したら
誰でも幸せになれるって思っていません・・よね?
え?水野ちゃん、お金があれば幸せって思ってたあ??(笑)
さて、ここで事例をだしてみましょう。
「好き」と「欲しい」についてです。
その昔、ばぶっている頃、三高男子というのがもてはやされました。
懐かしいでしょ?
身長、学歴、収入の三つが高いという男子のことです。
結婚相手には「三高が条件」なんて平気で言っていた時代です。
若い女性の心が欲しかったのは、
「三高」という「条件」でした。
でも・・・・そんな若い女性が、
勤務先近くのキックボクシングジムに
ダイエットのために通うようになりまして、
そこでプロボクサーを目指す
身体は鍛え抜かれているが、
身長は自分と同じくらいで、
学歴は高卒、
収入は・・・・プロボクサーを目指しているので居酒屋でバイト中
の「ジョー」と仲良くなります。
ジョーは、「三低」です。
でも、彼の挑戦力があって、努力家で、
真面目で勇気があって人に極めてやさしいという人間力の高さに
興味を惹かれ、
特に、まっすぐ見つめる彼の目にひきこまれ、
「💛好き💛」になってしまいます。
はい。ここから人体実験の解説です。
私たちは、「お金が欲しい」けど
心を揺り動かされるのは、人生の「幸福感=好き=ジョー」です。
私たちのネタコは、
欲しい「三高」ではなくて、
幸福感の「ジョー」を求めているのではないでしょうか?
私は、母親からしつけられたことが無意識に埋め込まれ、
観念としてそれを認識していて、
それが「感情」を生み、行動につながっていく、ことを発見しました。
この観念を一度よおくみて
目の前の事象が「三高」なのか「ジョー」なのか、
よおーくみつめる必要があると感じています。
私は幸せを感じていたい。
母親からの影響がある観念に左右されていない
本当の気持ちで、本当のネタコをよおくみて、
私が欲しいのは「条件=お金」ではなく
「好き=ジョー」です。
さあて、ここからの続きはこちらで
→ネタコをおこせ♪人体実験